予防線

  20代前半から30代前半までの十年程、複数の女性から「モテそう」と言われる事が度々あった。「モテるね」じゃなくて「モテそう」。これはあくまで個人の見立てで、実際にはモテていた事実も実感もない。念の為言っておくが、私から「全然モテなくて」的な自虐を出して「そうなの?モテそうなのに」と無理矢理フォローを言わせたわけではない、多分。あくまで唐突に査定されたものだ。

 

 あの時、別々の女性達から口を揃えて言われた「モテそう」という言葉の裏にはいったい何があったんだろうかと最近考えるようになった。

 で、思ったのはあれは一種の「予防線」だったのではないかという事。

 

 「モテそう」と言ってくれた女性達の多くは、お互い独身のまま10年振りに東京でサシ飲みする地元の同級生の様な、ともすると恋愛に転がってしまいそうなハラハラした関係だった。あの時、私は周りがどんどん結婚し始めて焦りを感じていたし、友人と思っていた女性が結婚すると嬉しいと同時に僅かな可能性が消えた寂しさを感じてしまっていた。そんな私の焦りや感情を敏感に感じ取ったうえで「モテそう」という言葉で私の恋愛対象となるべき相手は他の誰かであることを婉曲的に伝え「予防線」を張っていたのではないか。そう考えるようになった。

多分ハラハラしていたのは私だけで、相手はそんな事つゆほども思っていなかったんだと思う。

 「あなた、モテそうだよね」で仮定される私を好いてくれそうな対象には、少なくとも発言者本人は入らない。私は気づかなかっただけで、うまいこと女性たちに躱されていたんではないかと思う。それに気づいた瞬間、猛烈に恥ずかしくなった。

 

 そして今「モテそう」と言ってくれてた女性達とは殆ど疎遠になっている。結局私自身が結婚してしまったのだから自然と離れたのだろう。今私の周りにいるのは、同じDINKsや未婚で生きる事を決めた独身の友人が多い。友人たちと会うたびに「将来は私たちだけで子のない老人専用のシェアハウスを作って住みましょう」という話をしている。実現するかどうかは分からないが、案外悪くないんじゃないかと思う。