リアリスムの姉

 昨日、姪が進学で高円寺に越してきた。茨城で田んぼに囲まれて育った姪が。姉夫婦も引っ越しの手続きで数日は高円寺にいるというので、休日のジム帰りに寄ってみることにした。

 部屋に着くと既に大方の引っ越しが終わっており、ピンクのフリルがついた真新しいベッドカバーの上で姪が少し恥ずかしそうに座っていた。入学祝を姪へ、手土産を姉へ渡してそれぞれの近況を話した後、4人で新宿に買い物へ行く事になった。

 姉夫婦と姪と私。茨城の片田舎にある実家でしか集まる事のない4人が、混雑した昼下がりの高円寺を歩き、電車で新宿に向かおうとしている。「なんだか不思議な感じがする」と私が言うと、「この先滅多にないシチュエーションだろうから記念に写真を撮っておこう」と姉が言い出し高円寺駅のホームで集合写真を撮った。


 新宿に着くと姉一家と私は一度別れ、各々の買い物を済ませた後、再度集合してルミネにあるアメリカンダイナー風のレストランで遅い昼食をとった。

 姉夫婦はハンバーガーやオニオンフライやコブサラダや自家製レモネードなどをシェアし、私はそのおこぼれにあずかりつつアボカドチーズハンバーガーを一人分きっちり食べた。

 姪と義兄がいるものの、両親抜きで姉と話すなど何年ぶりだろう。昔話や実家に暮らす親の話をしていると予想以上に話が弾む。ふと姪に目をやると退屈そうにレモネードを飲んでいた。そうだ今日の主役は彼女だったのだ。彼女を差し置いて勝手に盛り上がってしまった自分の無思慮を呪った。私の皿の上に残っている冷えたフライドポテトを急いで口に放り、会計を済ませ(姉が奢ってくれた)、姉一家とはその場で別れた。


 帰りの電車の中、高円寺の街を姉と歩いた時に覚えた不思議な感覚を反芻した。「仕事でしか会わない人とプライベートで会った時」や「上京して知り合った友人と地元で会った時」などと同じで、調和の周りを異質なシチュエーションが取り囲み、調和が際立ったり、時には崩れたりする感覚。姉は茨城以外で暮らした事が無い。私にとって姉は愛憎入り混じった地元をアイコン化した様な存在なので、そのコントラストは強く際立っている。

 「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の不意の出会いのように美しい」という誰かの詩を思い出した。

 

 その晩、姪から「今日はありがとうございました」と丁寧なお礼が姉のLINEづてに届いた。何か返事をしようと思い暫く考えたが、適当な言葉が見つからずイイねのスタンプだけを押して返信した。ふいに姪の新居の洗面所にあった、恐らくは実家から持ってきたであろうキャラクターもののプラコップを思い出して、胸にこみ上げるものを感じた。