「トム・ソーヤ」を知らない

 正月にトーク番組を見ていた時、ある芸人の「トム・ソーヤになりたい」という発言にぽかんとしてしまった。私は「トム・ソーヤ」を観たことも読んだ事もないので、それがどういった意味を持つ発言なのか分からず置いてきぼりを食らってしまったのだ。結局前後の会話から「トム・ソーヤの様な陽気な樹上生活に憧れている」という趣旨で発言をしていることは理解できた。そうか「トム・ソーヤ」は樹上生活者なのか。不惑を過ぎても「トム・ソーヤ」を知らない自分の無教養さにつくづく辟易した。

 そもそも「トム・ソーヤ」は主人公の名前なのか、どこか異国の街なのか、それさえも分かっていなかった。そして朧げな「トム・ソーヤ」情報を脳内でかき集めると何故か毎回「ワンパクなピーターパン」が顔を出す。しかし考えたらピーターパンの事もあまりよく知らない。緑色のチューリップハットを被っているのはどっちだ?ふと脳裏に上背のある男性の姿が浮かぶ。違う、それは「のっぽさん」だ。ダメだ、重症だ。

 このように私は曖昧なものを曖昧なままやり過ごしてしまう悪い癖がある。一般教養であれば恥をかくだけで済むのだが、仕事においてもそうであるから始末が悪い。

 会社で総務的なポジションの責任者となってもう十年近く経つが、未だに「年末調整」が何故発生し、何のために申請するのかを分かっていない。あまつさえ自分も申請しているのに。幸い私以外のスタッフはその道の手練で私など居なくても順調に対応が進むのだが、ポジション上毎年ヒヤヒヤしている。ただその「それを知らずにどこまで行けるか」というスリルを楽しんでいるところもあって、「年末調整システム事前打合せ」などがあると物知り顔で参加してしまう。スリルを楽しんでいる以上、私が「年末調整」を覚える事はないのだろう。恐らくは私に想像の翼を与えてくれる「トム・ソーヤ」も。無知が転じて知らない事を楽しむ術を覚えてしまった。

 ところでもし「トム・ソーヤ」か「ピーターパン」が実写化されるとしたら、誰が適役だろうか。私は「のっぽさん」を推したい。「トム・ソーヤ」も「ピーターパン」も知らないのに何故か直感的にそう強く願う。そして私の直感は往々にして外れる。