予防線

  20代前半から30代前半までの十年程、複数の女性から「モテそう」と言われる事が度々あった。「モテるね」じゃなくて「モテそう」。これはあくまで個人の見立てで、実際にはモテていた事実も実感もない。念の為言っておくが、私から「全然モテなくて」的な自虐を出して「そうなの?モテそうなのに」と無理矢理フォローを言わせたわけではない、多分。あくまで唐突に査定されたものだ。

 

 あの時、別々の女性達から口を揃えて言われた「モテそう」という言葉の裏にはいったい何があったんだろうかと最近考えるようになった。

 で、思ったのはあれは一種の「予防線」だったのではないかという事。

 

 「モテそう」と言ってくれた女性達の多くは、お互い独身のまま10年振りに東京でサシ飲みする地元の同級生の様な、ともすると恋愛に転がってしまいそうなハラハラした関係だった。あの時、私は周りがどんどん結婚し始めて焦りを感じていたし、友人と思っていた女性が結婚すると嬉しいと同時に僅かな可能性が消えた寂しさを感じてしまっていた。そんな私の焦りや感情を敏感に感じ取ったうえで「モテそう」という言葉で私の恋愛対象となるべき相手は他の誰かであることを婉曲的に伝え「予防線」を張っていたのではないか。そう考えるようになった。

多分ハラハラしていたのは私だけで、相手はそんな事つゆほども思っていなかったんだと思う。

 「あなた、モテそうだよね」で仮定される私を好いてくれそうな対象には、少なくとも発言者本人は入らない。私は気づかなかっただけで、うまいこと女性たちに躱されていたんではないかと思う。それに気づいた瞬間、猛烈に恥ずかしくなった。

 

 そして今「モテそう」と言ってくれてた女性達とは殆ど疎遠になっている。結局私自身が結婚してしまったのだから自然と離れたのだろう。今私の周りにいるのは、同じDINKsや未婚で生きる事を決めた独身の友人が多い。友人たちと会うたびに「将来は私たちだけで子のない老人専用のシェアハウスを作って住みましょう」という話をしている。実現するかどうかは分からないが、案外悪くないんじゃないかと思う。

「トム・ソーヤ」を知らない

 正月にトーク番組を見ていた時、ある芸人の「トム・ソーヤになりたい」という発言にぽかんとしてしまった。私は「トム・ソーヤ」を観たことも読んだ事もないので、それがどういった意味を持つ発言なのか分からず置いてきぼりを食らってしまったのだ。結局前後の会話から「トム・ソーヤの様な陽気な樹上生活に憧れている」という趣旨で発言をしていることは理解できた。そうか「トム・ソーヤ」は樹上生活者なのか。不惑を過ぎても「トム・ソーヤ」を知らない自分の無教養さにつくづく辟易した。

 そもそも「トム・ソーヤ」は主人公の名前なのか、どこか異国の街なのか、それさえも分かっていなかった。そして朧げな「トム・ソーヤ」情報を脳内でかき集めると何故か毎回「ワンパクなピーターパン」が顔を出す。しかし考えたらピーターパンの事もあまりよく知らない。緑色のチューリップハットを被っているのはどっちだ?ふと脳裏に上背のある男性の姿が浮かぶ。違う、それは「のっぽさん」だ。ダメだ、重症だ。

 このように私は曖昧なものを曖昧なままやり過ごしてしまう悪い癖がある。一般教養であれば恥をかくだけで済むのだが、仕事においてもそうであるから始末が悪い。

 会社で総務的なポジションの責任者となってもう十年近く経つが、未だに「年末調整」が何故発生し、何のために申請するのかを分かっていない。あまつさえ自分も申請しているのに。幸い私以外のスタッフはその道の手練で私など居なくても順調に対応が進むのだが、ポジション上毎年ヒヤヒヤしている。ただその「それを知らずにどこまで行けるか」というスリルを楽しんでいるところもあって、「年末調整システム事前打合せ」などがあると物知り顔で参加してしまう。スリルを楽しんでいる以上、私が「年末調整」を覚える事はないのだろう。恐らくは私に想像の翼を与えてくれる「トム・ソーヤ」も。無知が転じて知らない事を楽しむ術を覚えてしまった。

 ところでもし「トム・ソーヤ」か「ピーターパン」が実写化されるとしたら、誰が適役だろうか。私は「のっぽさん」を推したい。「トム・ソーヤ」も「ピーターパン」も知らないのに何故か直感的にそう強く願う。そして私の直感は往々にして外れる。

 

遮光

 最近隣家の窓に段ボールが貼られている。原因は多分私だ。夜、私の部屋の灯りが漏れて、隣家の(恐らくは寝室の)窓に届いてしまっているらしい。確かに夜中まで本を読んだり映画を見たり、あまつさえ電気を煌々と付けたまま朝まで寝てしまうこともよくあるので申し訳ないと感じていた。隣家もとうとう我慢が出来なくなったのだろう。

 ここまで書くと100%私に非がある様に聞こえるかも知れない。でもちょっと待ってほしい、話はそれほど単純ではない。そうです、隣の家の寝室にはそもそもカーテンが付いていないのです。

 カーテンがない?上京したての大学生か?眩しいなら何故付けない?寝室以外にはちゃんと付いているではないか。うちは付けているぞ。窓に段ボールを貼る行為が隣家にどういう感情を与えるかわかっているか?そりゃこっちも悪いけどさ、、、と言いたいことは山ほどある。しかし風神雷神がプリントされた和柄パーカ姿の隣人と鉢合わせると「おはようございます」しか出てこない。悔しい。悔しいのでたまにベランダの目立つ所へボクシンググローブを干している。効果があるのかは分からない。

 結局、妻と相談し私の部屋に遮光カーテンを追加で取り付ける事にした。出費は痛いがこれで解決だ。グローブを干すより何万倍も効果があるだろう。しかしどうにも腑に落ちない。隣家のプレッシャーに負けた気がするのだ。物理的な解決は往々にして心情の解決にはならない。

 そんな事を考えながら悶々と日々を過ごしていると数日して隣家に変化があった。なんと窓にブラインドが取り付けられたのだ。やればできるじゃないか。これからは私も寝る前に必ず電気を消しますね。これでお互いフェアですね。私の溜飲も下がります。

 段ボールは数日で復活した。どうやらブラインドでは遮光し切れなかった様だ。そもそもブラインドの隙間は遮光に不向きな事に気がつかなかったのか?何故カーテンじゃ無くてわざわざブラインドを選ぶのか。あなたに必要なのはブラインドの様な変化球じゃない、直球だ。遮光カーテンだ。

 今日とうとう我が家の方に遮光カーテンが取り付けられた。しかし新しい家具に対するピュアな高揚はない。ただただ隣家の段ボールがどうなるのか、おずおずと剥がすのか、ブラインドに戻るのか、想像を超えた何かを出してくるのか、下劣な妄想が私を支配している。

 隣人よ恐れ慄くが良い、遮光一級カーテンの実力に。

 

 

 

 

余計なことしか言わない

 入院中に読む本を探しに本屋へ。読書会や古本市でお世話になった店主の方が居たので、常連気取りで「術後ボーッとするらしいので、あまり深く考えずに読める本ありますか?」などと通ぶった質問をしてしまった。相当失礼な質問なことに気づきすぐさま謝罪。私は調子に乗ると余計なことしか言わない。勧めて頂いたZINEを勧められるまま購入。僥倖。

 途中居合わせたお客さんが最近サニーデイ・サービスにハマっているとの事で3人でサニーディについて立ち話をした。聞けば店主も最近よく聴くらしく店内でも「東京」が流れていた。
 サニーデイ・サービス。大学時代に付き合っていた彼女と鴨川で一緒に歌ったこと、バンドで沢山コピーしたこと、ライブハウスのアルバイト時代にメンバーの衣装を何故か自宅で洗濯したこと。私の青春の一部はサニーデイで構成されているので、他の人がサニーデイについて話しているのを聴くとどこか恥ずかしい気持ちになる。

 カフェオレとケーキを注文して奥の喫茶スペースで休憩。持ち込んだ本を読もうと思ったが、流れている「東京」が海馬をくすぐるので全く集中できない。同じページを何度も読み返してしまう。諦めて退店しようと立ち上がると、店主から私が先日ツイートしたある書店への苦言について聞かれた。といっても「あのツイートですが。。。」と聞かれただけなので結局何を聞こうとしていたのかわからない。わからないのに「ですが。。。」の「が」に被さる勢いで、燻っていた私の思いをぶちまけてしまった。途中「その書店と店主がつながっていたらどうしよう」と不安になり、恐る恐る聞いてみたら「ちょっとした知り合い」との事。いや本当はむちゃくちゃ知り合いなのかもしれない。私の勢いに気を使ってくれているのかも知れない。私は本当に余計なことしか言わない。

帰る途中、いつも富士山が綺麗に見える橋の上で富士山を探したが、珍しく雲に覆われていてほとんど見えなかった。

岡村靖幸にまつわる記憶抄

 「今『気持ちわるい』って思ったでしょ」

彼女のアパートに訪れた時、居間に置かれた御本尊と名誉会長の顔写真を見た私に彼女は言った。彼女はある新興宗教の信者だった。

 「分かるよ、そう思う気持ち。むしろそれが普通だと思う。でもこれを知ってしまった以上逃れることはできないの」

彼女は諦めとも寂しさとも解釈できる笑顔を作ってその場をおさめた。それ以降、私が部屋に来る時には御本尊や顔写真は見えにくい場所に置かれるようになった。

 彼女とは3年交際して別れた。一時は結婚まで考えたものの、子供が出来たら絶対入会させるし、今は無理かも知れないけどいつかはあなたとあなたの家族も、と考えている彼女に私が同意できなかった。

 

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 人から「初めて買ったCDはなに?」と聞かれると、なんだったかなと曖昧に応えることが多い。忘れたわけではない、初めて買ったCDは岡村靖幸の「早熟」だ。中学2年の時に駅前のジャスコで買った。曖昧に応えるのは、私が岡村靖幸と応えると大体の相手が反応に困ってしまうのを知っているからだ。

 「カルアミルク」や「だいすき」など知っている曲を応えてくれる程度なら良い方で、あからさまに嫌悪を示す人もいた。だから私は自分から岡村靖幸好きを進んで告白した事は無いし、好きと言う感情を同じ位の熱量で他人と共有したことはない。

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 大学三年生の夏休み、フィリピンで農業指導を行うNGOスタディツアーに参加した。初めての海外だった。電気もガスも水道もなく、竹で編んだ簡素な家に住み、教科書でしか聞いたことのないプランテーション農業の支配構造に絡め取られている人々の生活は、茨城の地方都市で育った私にとって文字通りカルチャーショックだった。初日、一通りの座学を終えた後、米と川魚と豆の缶詰という質素な夕飯がありその後ささやかな宴が始まった。途中うっかりギターが弾けると言ってしまった私に弦が何本か足りていないギターが渡された。暫く悩んだあと絶対誰も知らないインディーズの曲を歌った。一曲では場が持たなかったので適当にコードをあてて「上を向いて歩こう」も歌ったような気がする。どう反応したら良いか決めかねている日本人ツアー客とは対称的に、現地の人々は歌に合わせて踊りを踊ってくれた。それが客人に対する気遣いだったのか内から湧き出たものなのかは分からないが、私はその踊りに救われた。

 NGOの代表はツアー中何度も「彼らと私達は違う。そして違うまま認め合うところからコミュニケーションは始まる」と話していた。その言葉には現地で金を落とすだけのODAに対する苛立ちから来ているものであったが、私にはもっと普遍的なもののように感じて、今でも時々思い出す。代表はクリスチャンだった。帰国後は高熱と下痢を発症し一週間ほど寝込んだ。

 

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 自分の器量や理解を超えたものを目の前に差し出された時、私はうまく踊ることが出来るのだろうか。彼女と彼女が信じるものにどう折り合いをつければ良かったのか今でもふと考えてしまう。もしその答えがわかっていたのならば、岡村靖幸が好きな事を理解してくれていた彼女に

「あなたの事はもう好きでも嫌いでもない」

「あなたが信じる宗教も正直よく分からない」

などと強い言葉で傷つけ、泣きながら助手席を降りて行く彼女の背中を見送らずに済んだのかも知れない。

 久しぶりに彼女のSNSを覗こうと思ったが、アカウントは削除されていた。

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