生活をするために生きる

仕事着に気を使った方が良いと気づいたのは最近だ。

着ている時間が長いのだから、少し考えれば当然のことだろう。私が気づいたのが遅いだけで、もしかしたら当然のことなのかもしれない。


 「平日はケ、休日はハレ」とばかりに、仕事着はアウトレットのセールで何も考えずまとめ買いしていた(それはそれで楽しかった)。今は定価でも着心地が良いものや、季節に合ったものを考えて買っている。結果仕事着と休日着の差が殆どなくなった。

 最近のお気に入りはユニクロのタックワイドパンツだ。ベルトなしでも履けて、椅子に座っても太ももが突っ張らないのが気に入っている。ワンシーズンで四本買った。メレルのジャングルモックは三代目。手を使わずにシュポっと脱ぎ履き出来るのがとにかく楽。カバンを手に家を出るとき、靴を脱いでリラックスしたいとき、帰って家に上がるとき、シュポッとしては買ってよかったと毎回小さく感動する。その感動の繰返しで、金額分の価値は充分回収できた気がする。
 
 仕事着に気を使い始めたころから、生活費の使い方も変わっていった。これまでは、多少の不便やストレスを感じても、平日にかかるお金はなるべく抑え、休みの日のイベントや旅行にお金を割くようにしていた。しかしここ最近、感じる日々の不便やストレスは、お金をかけてでも可能な限り取り除き、日々を快適に過ごせるよう心掛けている。

 

 先週五十万円の電動ベッドを買った。持病の腰椎ヘルニアが悪化したのが理由ではあるが、昔であれば起き抜けの痛みやこわばりに耐えながらでも、安いマットレスで忍び、浮いたお金で旅行に行っていたと思う。おととしは、睡眠の質を上げるために遮光カーテンを買った。座高が高すぎて気に入らなかった木製の椅子は、買い替えようか悩んでいたが、半年前自分で脚を切ったら意外としっくりきたのでそのまま使っている。f:id:tubeworm37:20240520220739j:image

 日常生活で感じるネガティブな要素を細かく取り除くと、旅やイベントなど非日常への逃避欲求は大幅に減った。家にいるだけで満足できる。それは、否応なしに外出がままならなかったコロナの外出制限の時期と重なるので、それに対する私なりの溜飲の下げ方なのかもしれない。結果として良い方向に向かっていると思う。もちろん使えるお金には限度があるし、投資額と快適さは単純に比例するわけではない。
 
 日常に気を使うようになってから生活が楽しい。いま私は、生活をするために生きている。